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セレブ経済、コミヤコウ流
Sat.26.08.2006 Posted in γ
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今日はエゲツナイけど、カネの話からしようと思う。

今、盛んに、政治家が(所得)格差の話をしてるじゃないか。
それが次の総理大臣選びまで影響しちゃうような。


はっきりいって冷めるわけよ、オレ。

格差、なんて縮まるわけないジャン。
勉強不足だよ、ソレ。


もしキミがIT業界にいて、マァ、オレの知り合いだからIT業界関係が多いと思ってそう書いてるんだけど、もしもオレと同じように気持ちが冷めなかったら、キミは勉強不足だ。もっとガンバレ。

IT業界ってスバラシイ、って度々言ってるの、マジなのですよ。
本当、勉強になる。


「所得」格差の広がりは、インターネットの「リンク」の広がりと同じ構造。
所得格差は、自律的ネットワークと同じような分布の仕方を見せているに過ぎないわけでしょ。
規制の緩和が進んで、個人間の「所得」の差は、自律的に成長しちゃえる状態にあるってことだね。

*


インターネットの「リンク」の広がり(分布)について一応書くと、まず「不平等」だということ。
つまり、少数の金持ちが大半の所得を占めている状態。

あるサイトを思い浮かべるじゃん。
そのサイトは、皆から見られる価値を持っている。
だから、多くの他のサイトからリンクを貼られている。Yahoo!なんかがそう。

サイトとサイトを、ネットワークが繋いでいる。
言ってみれば、ネットワークという線を、サイトという点が繋いでいる。
こういう、繋ぎ目にあたる「点」をノードという。

ネットワーク上にあるノードが持っているリンク数について考えると、当然、Yahoo!みたいな誰もが知っているサイトには皆リンクを張りたがるから、結果的にYahoo!というノードは、超ウルトラスーパー級のリンク数を持っていることになる。

一方で、リンクなんか貼られない、無数のノードがインターネットには存在している。
この、「リンク数」がまさしく、所得の「格差」の構造と同じってわけだ。

*


これはベキ法則と呼ばれていて、グラフにするとちょうど反比例のグラフみたいになる。

つまり、超ウルトラリンク金持ち父さんと、スローライフ、スロー収入のスロー父さんに分かれるわけだ。
日本人の年収は平均500万ちょっと下回るくらいだったと思うけど、それはその額の収入を得ている人が日本で多いことを物語っているわけではない。

むしろ、その辺はいないんだよ。理屈から言えば。

それはまさしく、格差社会だっていうわけだ。
格差社会になるなんて、ネットワークを学んでいる人達は、もう3年以上も前に知っていたんだ。

*


それだけじゃなくてさ、WEB2.0について学ぶなんてことはさ、最新の経済学を学んでるってことだよ。

素晴らしいぜ!

http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/web20/2006/03/06/
WEB2.0のことは、↑がわかりやすいよ。


メルマガで情報起業する人が、ちょっと前に一杯いたけど、アレで成功するモデルというのは、まさしくスケールフリーのロングテール利用型ビジネス(ロングテールとは、先の例で言うと「リンクなんか貼られない無数のノード」のこと。言葉がわからない人は参考のリンク先を見てね)。amazonばかりがロングテールの成功事例のように言われているけど、周りにも充分成功者はいるな。気付いたか、そうでないか。

今日のタイトル、早速ずれてきたな。
IT業界と経済予測、みたいな、?

*


さて、じゃあオレはどうするのか。フフ。
オレも自分の仕事のドメインやビジネスモデルを設計するときに、グローバリゼーションという名の下に、自律ネットワーク型社会の荒波に、勝負を挑んでいくのか?!


お、今日のタイトルに戻すんだね、オレ!
ベキ法則とか、スケールフリーとか、WEB2.0とか、ブログに書いてるとチカれるから、いい加減にまとめて今日のブログは終わらすのかと思ったよ(笑)


言っちゃうんだね?(←自分突っ込み)

*


オレが考えている、利用できそうな作戦は2つあるよ。

ひとつはもちろん、ロングテールを生かしていくこと。ロングテールはさ、「労力かけちゃいけない」よな。

もうひとつは、経済評論家の内橋克人が唱えている「共生経済」をヒントにしたビジネスモデルを構築していくことだ。
この辺、オレの嫌いな政○に利用されてたりもするので、誤解を与えたくないからとぼけるけど、要はオレは「鎖国」すればイイと思うわけよ。(チカれてきたから説明が一言で終わってる!)


今日はココまでにしちゃおう(笑)



自分の足で立とうとしてる人、興味あったらこの先一緒に考えようぜ。



勝つためにさ。


(参考になるサイト)
「新しい地域発展論-ベキ法則下での地域の生き方」
http://www.can.or.jp/archives/articles/20030527-01/index.html


(参考になる本)
新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く 新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く
アルバート・ラズロ・バラバシ (2002/12/26)
NHK出版

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「共生経済」が始まる―競争原理を超えて 「共生経済」が始まる―競争原理を超えて
内橋 克人 (2005/01)
日本放送出版協会

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シンクロニシティの意識的活用に向けて
Thu.17.08.2006 Posted in γ
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”最近どうしてる?”

オレにも子供の頃からの信頼できる親友がいて、今アメリカにいるのだが、オレがもうこれ以上はシンドイってくらいに本気で凹むと(それって1年に1度くらいだとして)、必ず連絡が来るのである。


*

普段生活しているときに、こんな風に、「関連性があっても」「因果関係があるわけではない」現象が起こることはめずらしくはない。

かの心理学者カール・ユングは、そういう偶然の一致のような現象を一般化して「共時性~シンクロニシティ」と名づけた。


ユングは、全てではないにせよ、いくつかの偶然の一致(coincidences)は単なる偶然ではなく、文字通りの「同時発生(co-inciding)」か、あるいは普遍的な事象を作り出す力の連続性によるものであると信じたのである。

そして、これらの力により、直観的な意識と行動が調和する過程を、ユングは「個体化」と名づけた。

集合的無意識による、個体化された人間の意識のコミュニケーションを通じて、現実の出来事が形成されるというのが、ユングの主張であった。(参考:Wikipedia)


*

共時に向かう動き、これは特徴や規則性が著しく近しい同士の間においては、「共時的」よりも、もはや「同期的」という形で観察されることが多い。

例えば、自然界には多くの同期的なシンクロニシティが見られる。

科学雑誌「サイエンス」には、ホタルの群れの光が同期して点滅する現象に関する論文が掲載されている。
ホタルをホテルの部屋に(シャレじゃなくて)持ち帰った生物学者によると、最初はバラバラであった光の点滅がやがて同期していく様子が観測されたという。

他にも、一匹の猿がはじめた「サツマイモを洗う」という行為が、群れ全体に定着し、臨界点に達すると、海を越え、遠く離れた別の群れの猿たちも同じ行動をとりはじめる「百匹目の猿現象」もこれに近い。


今では研究の結果、どうやらシンクロニシティという、ものごとを同期に向かわせる傾向は動物や人だけでなく、宇宙など無機物にもあるとのことだ。この辺が非常にオレの興味領域に入ってくるわけで。


*

実はシンクロニシティを科学技術の世界で応用することは、もう随分前に始まっている。

例えば、インターネットをインフラ面で支えている光通信ネットワークやCDプレーヤーなどで使われているレーザー光がそうだ。レーザーでは光の位相を同期させることによって、通常の光では得られない特殊な性能を発揮することが可能となる。
またシンクロニシティ(同期)とアシンクロニシティ(非同期)とを組み合わせることによって、新たな展開が開けた例もある。
電話のネットワークはすべて同期することによって成り立ってきた。電話利用者の立場にたって考えれば、お互いに同じ時間を共有しなければ会話が成立しないのは当然のことだし、ネットワークインフラの立場においても大量の通信を同時に処理するためには、ネットワークの同期化が必須であった。ところがインターネットは、こうした同期の概念を覆した。
メールは相手と同じ時間を共有しなくてもコミュニケーションが成立する非同期の世界である。
インターネットのネットワークも基本的には非同期だ。
我々はこのように同期と非同期とをうまく使い分けている。
(アビームコンサルティング株式会社顧問 宮永氏による)


*

人の意識や行動には、例えば多元発生的「流行」のように、シンクロニシティが作用している。

また、小さなレベルでこれを意識的にコントロールできるようになれば、例えば特にチーム行動において、インターネットの世界のように、意識的に飛躍的なシナジーを得ることが可能だと考えられる。


チャーリーン・ベリッツは「パワー・オブ・フロー」という本でそれを説明している。
ミハイ・チクセントミハイのフロー理論がこの元になっているのだが、SONYでAIBOを開発した土井忠利さんは、SONYのAIBO開発チームがにはまさしくそうしたシンクロニシティがもたらされ、集団でフローの状態になっていたと著書「運命の法則」に書いている。


この辺りには、オレの働き方の理想が埋まっている。

また、個人の世界で言えば、この共時への動き、というものが、「経験の点を”繋げる”行為」において、ある重要な役割を担っているように思える。すごい大事なことだと思う。あらためてフォーカスしたい。


*

量子力学を拓き、「パウリの排他律」で知られた物理学者ヴォルフガング・パウリは、睡眠薬を多用し病を患う。
そのときパウリの治療にあたったのがユングだった。

ユングはパウリと共同研究を行い、『自然現象と心の構造-非因果的連関の原理-』という本を著す。
それがまさしくユングがシンクロニシティを語った本だ。

それを日本語訳したのは、臨床心理学者で京都大学名誉教授の河合隼雄だ。


河合隼雄の箱庭療法の読書経験があったことは、オレがキャリアの世界に足を踏み入れるときに、その心理学的な繋がりから、自分の興味領域の選択の正当性に根拠をつけてくれた。




その河合隼雄が今、脳梗塞で倒れたとニュースが告げている。


オレは今日、シンクロニシティについて、書いている。








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デザイニング、キャリア・デザイニング
Sat.12.08.2006 Posted in γ
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オレの本棚で、文芸書を除いてもっとも古く手に入れた部類の本に、電通が発行した「デザイニング 新しい発想と方法論」がある。初版は1986年、今から20年前だ。多分オレが手にしたのは大学1年か2年だ。(※それが20年前ではない。初版が20年前なのだ。念のため!)あまりにも刺激的だったから、ずっと持っている本なのだ。

本の中で、10数名のクリエイターが、「新しい発想と方法論」について書いている。


今日、不要な本を整理していて、懐かしくてこの本を手に取ったんだが、、、


パラパラとめくってて、、、


そして、ビビッた。


おいおい、これ、20年前の本だよね。
こういうときは1人で笑うんだろうな、思わず、そんなことを思った。

オレ、今同じこと話してるジャン。
大学生のオレ、鉛筆で線まで引いてるよ。(無論、覚えてない・笑)

*


「デザイニング」の最後のほうで、当時筑波大学講師だった星野克美先生(現・多摩大学教授)が、「創造的発想のテクノロジー -記号論的マーケティングの提案」という原稿を寄せている。

それは、客観的検証の世界に留まっていたマーケティングに、創造の科学、創造の技術、という観点を与えようとしたものだ。

先生は、「記号論」がそれを可能にするひとつの有力な手法であるとして以下のように書いている。

*

最近、マーケティングでは発想やひらめきが重要であると言われ、いわば右脳的マーケティングの手法が求められているが、記号論という科学は発想やヒラメキのプロセスを技術的な手法に変換することができるという点で、そうした要請に応えられるものである。
・・・略・・・
シービオク夫妻(※1)は、・・・パース(※2)の所説を引用しながらそのことを暗示的に述べている。
「推測(abduction)」とはいわば”当て推量”、”当てずっぽ”といわれるものなのだが、それは”自然の光(illumenaturale)”ともいうべき神から与えられた本能的行動なのであり、未知なるものや未来的なことを予見する上で不思議に威力を発揮するのである。
・・・略・・・
このことについてパースは、”人間の行う当て推量を、とても単なる偶然では不可能なほどよく当たるように仕向ける、何らかの内なる光がもし存在しなかったとするならば、人間は生存競争を生き延びる力をまったく欠いて、とっくの昔に絶滅してしまっただろう”といい、また”推測は人間と創造主の間のコミュニケーションであり、この神聖なる権利を活用しなければならない”と述べている。
・・・略・・・
そして専門家たちの推測的行為に共通しているのは、まず対象とする事象についてのきわめて深い観察が前提になっていることであろう。
また、推測的行為に共通しているのは、証拠であれ症状であれ、いずれにしても対象とされる現象の有徴的なもの―「有徴記号(marked sign)」が本能的に嗅ぎとられ、それと同時にその深層に隠された意味が瞬時にして、あるいは深い思索の末に解釈されるということである。パースは、”仮説を抱くとは洞察(insight)を持つ行為であり、推測による暗示は稲妻のように頭にひらめくのである”と述べている。
・・・略・・・
推測とはこうした人間の本能的能力の働きを意味するものであり、記号論は認識論的な一面で推測のメカニズムを解明する科学として演繹と帰納の科学の基盤をより確固にするために必然的に生まれてきたものである。

※1シービオク夫妻 …「シャーロックホームズの記号論」を著した夫婦の研究者
※2パース …チャールズ・S・パース 記号論の祖の1人 よくオレも言葉を引用する

*


なんとまあ、今オレがキャリア形成において、他人に語っていることが、マーケティングの世界では20年前に語られていたんだね。(繰り返しだけど、「デザイニング」は1986年に発刊されている。)

しかも上記以外の文章の流れでいうと、芸術の世界ではもっと早くにこうした構造化が試みられていたと読み取れる。

>芸術>経営>キャリア形成なのね。

*


そういえば、大前研一が翻訳、ダニエル・ピンクが著した「ハイコンセプト」では、これからはMFA(Master of Fine Arts)すなわち美術学修士こそ、新しいMBAなのだ、と相当なページ数を割いて書いている。

ここに至っては、著名なキャリア理論の先生も、僕の敬愛してやまないN先生のイノベーションの創造も、さして新しい何かを提供されてはいないんじゃないかと、ちょっとテンションが下がってもみる。

*


「デザイニング」に戻って、星野先生は「創造的認識行為の一般モデル」について説明をしている。

それは一般に「意味解釈」と「記号生産」の、2つのプロセスから成り立つとしている。

「意味解釈」はさらに、以下の2つの過程に分けられる。
1.記号観察 : 意味解釈にいたる前に、まず記号を観察し、有徴記号を収集する。
2.意味解釈 : 「推測(abduction)」という方法によって行われる。

そして「記号生産」もさらに以下の2つの過程に分けられる。
1.意味生成 : KJ法など既存の意味分析(KJ法などは有効活実用的である)を行った後、その意味を差異化する新たな意味を推測する。いわゆるコンセプト開発に相当する。
2.記号生産 : 新たな意味を体化した記号を生産する。「意味」としてのコンセプトから「形」としてのモノを開発する過程。マーケティングにおいても、「比喩」や「異化」の方法が芸術的創造行為のように無意識的にとられている。

*


来たよ。ビンゴでしょ。

「比喩(metopfer、メタファー、本の中ではrhetoric、レトリックだったが)」、出てくるだろうな、と思って読み進めたら、やっぱり出てきたよ。

「異化(defamiliarization)」という言葉も当時よく目にした。
オレはもともとは大江健三郎の文章の中によく見た。芸術 → マーケティングへdivertする中で、それは「差別化」として使われていったと思う。

*


勉強すべき方向性は、こうやって手に入れたほうが良さそうだな。

E.H.シャイン(※3)が来日するからって、さっき聴講申し込みしたけど、1万円したんだよな。

ハクはつくけどさ、何か間違ってるような気がしてきた。


いやいや、これもクランボルツの「計画された偶発性」と見るべきか。

いやいや、オレはオレだった、っていうことだろ。


※3E.H.シャイン… キャリア理論の世界的権威 MIT名誉教授
※4クランボルツ… これまたキャリア理論の大家 スタンフォード大学教授


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ヴァニティ(空虚)、ヴァニティ(空虚)、すべてヴァニティ(空虚)
Fri.11.08.2006 Posted in γ
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かなり何年も前のことなんだが、多分ブルータスだと思う、岡本太郎特集があった。

まだきちんと読んでなくて、いつか読もうと思って積んでおいて、知らないうちに捨てられてしまった。
最近(?)、岡本太郎がまた取り上げられているじゃないか、捨てられてしまった雑誌をどうにかもう一度手に入れたいという思いが強くなった。

 今、岡本太郎の言葉に惹かれる(現時点では気がする)のだ。

ブルータス(これも多分なんだけど)はバックナンバーをネットで見たけれど、それと思われる号を発見することはできなかった。
そしてさっきアマゾンで、とりあえず別の買える本を探して発注したのだった。

そのままネットでつらつらと見てて、そうしたらこんな言葉が出てきた。

*


未来なんてインチキ極まる言葉だ。現時点で充実することが未来であって(同時に過去でもあるが)、未来を想定することによって現時点に少しでも隙間ができるとすれば、全く許せない。……未来に空手形を出すことによって、現在がホンの少しでも希薄になれば、それはもうインチキなんだ。(岡本太郎)


*


そうか...

オレがこういう言葉を素通りできないのは、人のキャリア形成に携わる仕事をしていて、(オレの)仕事には、”未来に「気」を向ける”というフェーズが厳然と存在するからだ。

岡本太郎の、神がかり的な才によって発せられた言葉それ自体が直線的で、例え我々にわかりやすくとも、オレはそれに不様に贅肉を与え、プラグマティックに人間化して話すことをあきらめてはいけない。

*

オレはどう思っているか、ここに書こう。

未来は、、、

 未来は、今、この瞬間に「前を向く」ためにある。


オレ達は、精神世界からはなれリアルに目を開いたとたん、「時の流れと行動事実」の中にいる。

「今」は瞬時に過去化され、体を動かす思考は常に未来予測を伴う。

岡本太郎に聞く。

”現在”だってインチキ極まる言葉だろ?

*


ああ、そうか。


書いていてわかったよ、岡本太郎。

同じことなんだね。


岡本太郎は、”未来なんて考えずに「現在」をひたすら生きよ”とは言ってない。


オレがさっき書いた、”現在だってインチキ極まる言葉だろ?”という言葉に、続きをつけるならこうなる。

”現時点で充実することが未来であって(同時に過去でもあるが)”

つまり岡本太郎が続けた言葉と同じにしかならない。

そして、

”未来を想定することによって現時点に少しでも隙間ができるとすれば、全く許せない。”

に対してオレはこう言う。

”現在しか見ぬ人間が、現在に滞留しそれを嘆くとすれば、全く許せない。”


岡本太郎と気が合わないとは思えない(笑)


*


「将来こうなりたい。」

こういった表現に、未来=結果という思考に対して我々が何の不自然さも感じられないという悲しさがある。

どのように生きるか、こういった学問(敢えて言う)は、まだ本当に黎明期なのだ。
(まだ人間は戦争をしてるんだ、当たり前か)


”今”と”将来”に相関はない。

”現在(今)”と相関があるのは、”瞬時に現在化された未来”であり、言い換えると、”瞬時に過去化された現在(過去)”と、”現在”しか相関は証明できないのだ。

*


未来は、、、

未来は、今という、”この瞬間”に「前を向く」ためにある。


*


P.S.

題名を「ヴァニティ(空虚)、ヴァニティ(空虚)、すべてヴァニティ(空虚)」としたのは、色即是空、「空の空、いっさいは空である」とする般若心境の話に結び付けたかったから。

高度経済成長、目的と手段の考え方、など思いは拡がったが、ブログはそこまでたどり着く前に終わりにしてしまった。

*

フラクタルのときもそうだった。ノートテイキングもそう。
また、いつでも続きを書けばいいさ、と思ってしまう。

ブログって...

がんばりましょう、オレ。
エモイワレヌフアン・リマインド
Sat.05.08.2006 Posted in γ
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特に自分の専門分野で「まだまだじゃん、オレ!」って、ふとした瞬間に思ったとき、エモイワレヌフアンがおとずれることがある。

そんなときには、「自分のできること」を一瞬立ち止まって再確認する必要がある。



オレは、もう会社に依存して生きることをやめたから、

だから、そういう作業はとても大事。


*


それが具体的な不安だったら、今までしたことを具体的に思い出す。

例えば、、、「今まで何回人前で話してきたんだよ、オモイダセ、オレハヤッテキタ。」




そしてオレ宛に、毎日1文しかないリマインド・メールが送られてくる。

”できることを思い出そう”


*


不安はいつもある。

そういう自分を置いてけぼりにしてはいけないんだ。

もう、自分で生きているなら。



何もないと思うから不安になる。


何もないことない。ないわけない。

「必死で思い出せ。ゼンリョクデオモイダセ。」



オレ宛に、リマインドが送られてくる。

”自分を信じよう”


*


そして思い出し始めたときには、もう何か欲しくなっている。

それを手に入れろ。事実を重ねろ、さらに積み上げろ。


いつも事実がオレを救う。


事実=「できること」が増えていくのは、純粋な喜びがある。


イコール、オレと思えるから。


*


その頃には、背筋が伸びている。

胸を張る。しっかりと立てている。

不安定な性質を持つオレの声も、持ちこたえてくれる。


新たなリマインドが送られてきている。

”自己を肯定しよう”




そこからが、やっと自分の価値表現の場になる。



*


価値表現の場では、感性が問われる。

右脳がフル回転する。メタファーやアナロジーがオレの好奇心をドライブしつづける。



そしてオレはきっと何か思いつく。オレハオモイツク!

フローよ、
感性は、事実のないヤツに微笑まない。


勝負をつけるには15分もあれば充分だ。


”自分の貢献を追求しよう”

4日目のリマインドには、こう書かれている。



*


では5日目のリマインドには、なんて書かれているか?

答えは、


”明日に希望を持とう”



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