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after the quake
Sat.13.10.2007 Posted in γ
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*** まわりは見えるけど

就活の相談で学生が来て、「外のセミナーでグループワークをやったら、みんな(他の大学の人が)優秀でびっくりした。」と切り出された。

「で、彼らは確かに優秀ですごいと思ったけど、自分もそうなって同じような道を進みたいかというと、それも違うような気がして。。。」

「でも、じゃあ自分はどうなんだ、どうしたいんだ、何になりたいんだ、何に向いてるんだ、と考えるとそれがわからない。またゼロからやりなおしです。」と言う。


<(まわりは見えるけど)自分で自分が見えない。>


そういうジレンマって、いつでも、オレにも、あると思う。

大事なのは、 「自分はそうじゃないな。」 という気づきが確かな事実だと気づくことだ。
ひとつの基準(視点)を置くことで、何かを知る手がかりとする、認知心理学に出てくるんだが、この視点のことをなんて呼ぶのだったか。。。
大事なことが思い出せない。苦笑

ま、いいや。
とにかく。

セミナーに参加したことで、ひとつの事実が手に入ったわけだ。
「自分はそうじゃないな」という違和感も、それは確かな事実であり手がかりだ。それを百個集めたら、かなり自分を知れるのではないか。

考えるために足を止めないことだ。

大概の学生は、上のようなセリフを言ったあと、しばらく(考えるために)行動を停止する。それはイマイチだと思う。

わかりたい、と思って考えることも、もちろんやめてはいけない。
ただ、考えているときに、足が止まっている。

やっぱり、考えながら走るってことだな。
走りながら考える、それは不安だし、体力的にも、気持ち的にもまいるようなことだけど、、


*** 思考の停止について

以前、小宮講で同じようなことを書いたとき、洋平くんと、センゲの「出現する未来」(この本今どこにあるのだっけかな?)のU理論や、エポケーの話をして、思考のために立ち止まることの重要性について会話したような気がする。

でも、たぶんそれって、ミクロにみたフラクタルの中での停止であって、大げさなアクションのなかで行う停止とはちがうんじゃないかな。
停止してるんだけど、あたかもそれは第3者から見たら停止しているように見えない、そういうビヘイビアの中で実現させることなんじゃないかな?
(洋平くん、そう思うだろ?)

考えながら走る、この理解が一段深まりやしませんか。 笑

ふと現実に目をやると、オレは特にここ何年かはそうだが、ゆっくり考えよう、なんて思って実際にうまくいったためしがない。
大概自分を救うアイディアは、突然泉のように湧きだすのであり、その流れをどのように呼び込むか、それは 「ゆっくりと」 という表現でもたらされうような感覚ではない。時間感覚で言えば一瞬か30分がせいぜいだという感覚で、むしろ 「それをとらまえて忘れない」 ためにはどうしたらよいか、ということに腐心している。

シャワーを浴びている間に考えよう。オレはその程度だ。笑
瞑想でそれを呼び込むようになりてーもんだ。


*** after the quake

さて、オレの場合も今は考えても、解を導けそうにない。
というわけで、できる(思い出せる)手立ては打った。(それは本当か??)

明日からの1週間の対話・情報交換の中で、いろんな事実が見えてくるだろう。
それを頼りにしていくしかない。(しかないはず)


ふと、やばいくらいの(自分に対しての)不信感がオレを襲う。


それは、

オレは偽物だ、
という昔からの思い。


自分を救うのはいつも積み重ねた「事実」だ。


オレはすごいやつじゃねー。正直、たいしたことない。
それは「事実」を見ればあきらかだ。
そして「事実」があるから、大丈夫だ、とも思える。



神様、いくつかの幸運がありますように。


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