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メタファーとしての死
Thu.30.10.2008 Posted in Quad
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高間さんの本の出だしを受けて思ったこと。

***

ここ十数年の間に、自己組織化というテーマが多くの関心を集めるようになった。
形なき物質に出来合いのパターン(情報)を押し付けることで秩序を形成し、ネガティブ・フィードバックによって安定的に制御していくという「他律」の構図に代わって、ゆらぎをはらんだ物質の広がりの中からポジティブ・フィードバックを通じて自ずと秩序が形成され、ダイナミックに変容していくという「自律」の構図が前面に浮かび上がってきたのである。
(「知恵の樹」ウンベルト・マトゥラーナ/フランシスコ・バレーラ 文は浅田彰)

***

やべー、10年も前の記述だけど、すごいわかりやすい。。。



そうか、秩序は自ずと…でいいのか。





そして思ったんだけど…


従来の機械的な分析的(アナリシス)アプローチから、生物的な統合的(シンセシス)アプローチに移行するなら、それはやっぱ”死”という概念をも取り入れるということだよね?



どうやら我々はもう惑星メーテルに着いたんだろか?

温暖化で気づいて、どうにかして自分の手で経済を殺し、生あるものとして立派に死を選択していけるのかしら。



っていうか、できんのかいな?




人にも組織にも企業にも、生を受けてからの年齢というでも言うべき成熟度があるわけで、子供にそんなこと言ってもわからんと思うし。


だいたい、オレだってそんなに大人じゃないぜ。


でもいずれにせよ、最後はみんな死ぬんだしなあ。





自分が死んだ後に、この会社がなくなっても、オレは気にしないけど。



うーん。意外と「死のメタファー」は重要な気がする。


あっちの世界のことがわかんないと、この先行けない気もするけど。笑

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