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自転車に乗る
Sun.24.12.2006 Posted in γ
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自分が蓄積した事実(経験や知識)に方向感を持とうとるする(どういう風に利用するかを考える、もしくは意志をもつ)ことで、そこに飛躍した利用法の概念(メタファーやアナロジー)が生じ、有限の”因”から無限の”果”をつくることができる。

それがオレが追っかけている考えだ。

*

生まれ変わり、という概念(精神とか魂の話じゃなくて)を自分のために少し真剣に具体的に考えたとき、経営やテクノロジーのイノベーション、キャリア形成とか語ってきて、もしくはもっと手元のオペレーションレベルのことを語ってきて、自分はさまざまなレベルでそれは実現可能でフラクタルなもの、全体であり個であるものと考えてきたのに、どうして”自分自身”という観点においてはこれほど自由になれないのかと思った。


*

この数日で急速にオレは”生まれ変わりたい欲求”に導かれ、ただ、実際に自分に起こったこともしくは実際の雰囲気というのは、本や音楽やテレビや大事な人との話なんかを通じて昔の感覚を思い出す、もしくは再認識するというようなことだった。それはスパイラルの中に生きているという感覚や、リスタートという感覚で説明できるかもしれない。
でも、そういう捉え方に異論を唱えたくなる自分がいるのだ。

前に進む、ということはどういうことか。


*

ここ10年くらいの間にオレに起きた出来事とおれ自身の”思い”いうのは、「(どんなことであれ)オレはそれらをすべて抱きかかえその上で浮上する」ということにちがいなかった。
オレはずっとそういうふうに望み求めてきた。
それに対して、ここ2、3年にオレが痛切に思い知らされたことは、「おまえにそんな資格はない」ということだった。
いくらそこに自分の誠実さを求めてもそこにドラマは無い。それは新約聖書のヨブよろしく試練でしかなかった。

オレはどんづまっているではないか。笑
前に進みたい。

だからオレ自身の想いの屍の上に、それを抵抗し体を動かして何かを打ち立てようと思ったかもしれない。そういう”屍の上”に立つこと(もっときれいな表現が好ましいけど)は、経験の積み重ね、事実の積み重ねでもあり、それを活かすことがキャリア形成よろしく、オレを未来へと導く。そう思ったかもしれない。

(こんなことを書いていること自体オレは反吐が出そうになり、ああ、だめだめだ、という気持ちになる。落ち込むのではなくて、スポーツの練習で、だめだ、もう一回!という感じ、)


*

そうしたときに、ふと掴みかける思考。ふと取り出す本。

筑波大学の蓮見孝先生は、「感性的思考の特質」を以下のように記している。
(蓮見先生は日産のデザインセンター出身でデザインの形態論が専門)

 直感的なイメージは画像的である
  ・シナリオを有し動画的に発展する

 直感的イメージは、想起に至る動機を有する
  ・何かに執着しているという背景の存在
  ・関連する経験や知識の影響を受けている
  ・無意識下に情報収集、検索行動をとっている

 個々の感情が瞬間的に一つのまとまりに統合される
  ・自説となりえる深い理解が得られる
  ・メタモルフォーシス(変態)の概念に似ている
  ・ひらめきやアブダクションに関係がある
  ・Making-sense ~自転車に乗れるようになった時に似て
   忘れることが無い
  ・思考空間を浮遊しながらまとまりたがっている知識や経験が存在する
  ・好奇心を刺激するイニシエーター(起爆剤)的な情報と統合化に
   働くプロモーター(促進剤)的な情報が存在する

これはオレが野中郁次郎教授(経営学)から学ばせてもらったことやその後の自分の興味の発展をなぞる、まさしく相似形(フラクタル)だと言っていい。


*

今見返して、まったく新しい気付きが埋め込まれているわけではない。
芸術も経営学も同じ、そういう理解をオレにくれた記述。

ただ、今メタモルフォーシスという言葉が頭に浮かび、オレにまた次への思考へ繋がる橋渡しをしてくれたのだ。
理想は自分のオペレーションレベルや、せいぜいビジョンを打ち出すレベルなんかより、ずっと高いところにあるんだ。

ああ、そうなれるものならそうならなければいけないのだな。
ごたくを並べていても、自己満足の領域からなかなか抜け出せないでいる。


*

前回だったか、前々回だったか、思考を止めたら死んでしまう、というような言葉を書いた。

そうか、ある意味、死んでいいのだな。


オレはきっと死ぬのが恐くて恐くて、だからこうやって考えようとする。

ここ数ヶ月で自分に起こったことが繋がっていく。なんかわからんけど、サンクス。

そしていいクリスマスプレゼントになった。

こうやってみたら、準備は結構進んでいるではないか、そうだろ?



後は、自転車に乗れるようになりたい。

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comments

エポケーか

そうか、第3の視点はエポケーに通じているのね。
エポケーって思考の制御から離れて”運動系の共応”を可能にした状態なのかな?
それは”無意識”なのかな?
”瞑想”なのかな?
手に入れてみたいな。
やべ、怪しい発言??

エポケー

>前回だったか、前々回だったか、思考を止めたら死んでしまう、というような言葉を書いた。



一時的な判断停止の意味での思考停止は対象を客観視する意味でも大切ですよー。ほら、ピーター・センゲも静寂の重要性を説いてましたし。

ま、でも小宮さんの場合は視野が狭くなったりしないので思考し続けても平気なのかも。

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