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視線で好きになる
Mon.05.11.2012 Posted in Quint
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先日、仕事で撮影に立ち会った。

設定では、役者の人がカメラに向かって話すことになっている。
その際、カンペがカメラのすぐ下に出されていて、役者さんはそれを読めばいいことになっている。
それで万事うまくいくと思いきや、実際にモニターをチェックしてみると、役者さんの視線が下に落ちているように見えてしまう。
(実際に下に落としているのだが)
ちょっと試しにカメラ目線にしてもらうと、やっぱり視線が合うと全然違う。
視線が合うと、視線が合うだけで、何かわからないけど電気信号が確実に送信されてくるのがわかる。
視線が合うと、ああ、これ(この会話)は、自分に向けられているのだ、と人は感じる。



**

視線については、負い目がある。
誰にって訳じゃないのだけれど。
言ってみれば自分に。

視線について最初に意識したのは、小学校低学年のときだ。
その頃、親から「先生が話しているときには、先生の目を見なさい」とよく、いやたまに言われた。いや正確には言われていないかもしれない。
とにかく子供の頃には、これを読んでくれてるあなたと同じように、集中力というものにすこぶる自信があった。
それはどこにわかりやすく表れたかというと、話してる人から一秒たりとも目をそらさない、ということだった。
自分の中で非常にシンボリックで端的で容易な行為は、中学生になって自分の内的(外的にはなかったから)反抗期とともに消えていったように思う。
何があったのかは覚えていない。
同時に集中力は有限になり、いろんな意味で一途凡の道を歩み始めたと思う。

あのとき、視線をそらすべきではなかったのではないかと、よく思っていた。
あのとき、というのはどこかの具体的な一点を言っているのではない。
自分から、ある種の緊張感からの解放があった。

そしてそれから戻ってこなかった。
僕は手放した。


**

この前、永田ジョージのライブで、僕の席は一番前の右の端から3番目だった。
一番端にいたのはボーカルの女の子の知り合いだったみたいで、ボーカルの子はライブの途中何度かその人と目を合わせていた。
その都度、僕を彼女の視線が素通りしていった。

僕は彼女が好きになれなかった理由をライブの後しばらく考えていたのだが、どうやらあの視線の素通り(の八つ当たり)が原因ではないかと思い当たったのだ。
文字通り、(相手のだけど)眼中に入らないのだから好きになりようがない。
僕のことが見えない人を好きになりようがないのだ。

そんなことで人を好きとか嫌いとか言うな、というようにも考えられるが、そう意識的に思ったほうがいい。
人の前に立ったら、ひとりずつきちんとと視線を合わせるべきなのだと。
人に好きになって欲しかったら、まず自分がきちんと視線を合わせなければ、ね。


**

さて、仕事はさておき、自分は視線を合わせるとか合わせないとか、そんな気にする日常ではないと思っていたのだが。
少し前にある人と飲んでいたら、こみやさんは視線を合わせないよね、と言われたことがあって、それは心中たいそうドキリとしたのだ。
それは別にその人が好きだから好きじゃないからという話ではないのだが(そういうテイで書いてしまっている気もするがそうではなく)自分が視線を持ってない、という指摘に聞こえたからだ。


うん。視線を持ってない、という、そんな感じ。


視線が合わない人を人は(僕は)好きにならない。



おいおい。たのむぜオレ。



また視線を持てるのだろうか。

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