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夢・Imaging
Thu.13.07.2006 Posted in γ
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夢については、その質が年を取るにつれて高まってるように思う。

*

自分は夢をカラーでみているが、最近はその描画力に感心してしまう。

夢は確かに昼の間に見た、無意識下でも明らかに自分のココロに滞留したものが登場することが多いし、自分の知っている情報世界内でその登場する人・モノも脚本も創られるはずだと思う。

それなのにオレはしょっちゅう夢の中で驚いたり、欺かれたりするサプライズに出会う。

オレは夢の中で「あ、そうか。」と感心したりすることも多い。
(トランプの新しいゲームを教わったことがある!)

*

話はちょっと違うが、体を横にしてから夢と現実のハザカイを「意識的に」さまようことがある。

それは寝るための処方箋とは全く異なる行為で、良い夢の途中で目覚めてしまって、その続きを無理やり視ようとするような行為とも異なる。

自分は完全に覚醒してるんだけど、寝てるように無意識にイメージをみる、ということだ。

プリミティブな白昼夢なのかもしれない。

ただ、自分の不足している無意識の欲求を空想で満たすような行為ではない。

*

具体的に、どのような形でそれが実現するのかというと、多いのは街や建物が微細な部分までクリアーに思い浮かべられるということ。

ひとつの建物がクリアーにビジュアル化できる。

自分は双眼鏡でそれを覗くかのようにみていて、隣に視点を移すと完全な形で隣の建物も視ることができる。

それを隣から隣へ次々にみていく。

*

集中(といっていいのかわかんないけど)が切れると、自分の意識が表面化されてしまいイメージは切れてしまう。

言ってみれば無心のような状態をキープして、いかに長く隣へ、隣へ、建物を視続けることができるか、(それを楽しんでいるわけではないけど)その間は頭がとてもクリアーで、そしてそれゆえ途切れてもまたその状態に入りたいと思うけど、もうその状態には意図的には戻れなかったりするのだ。

*

実はこの経験はビジュアルだけじゃなくて、ピアノのメロディ、という形でも実現されることがある。

その時はすなわち自分が作曲家になったかのように、メロディを頭の中で奏でることができるのだ。

旋律を上げよう、と思えば旋律は持ち上がり、下げよう、と思えば下がる。

そして延々とメロディは流れ続けるのだ。

自由自在に旋律をコントロールし、それを楽しみながら、その集中が切れるまでエンドレスで極めてリアルに美しい曲が流れ続ける。

なんだか自分が浄化されるプロセスのような心地よさだったりする。

*

もちろん、みえた街も、奏でたピアノの旋律も、自分の経験的な記憶・認知としては「存在しない」ものだ。

基本的に自分には絵を描写する才能(もしくは建築の才能)も、作曲ができる音楽の才能も持ち合わせてない。

起きていたら、、、残念ながら、全く再現できない行為なのだ。

*

1996年のノーベル文学賞を受賞したポーランドの詩人、ヴェスワヴァ・シンボルスカが受賞時のインタビューでこう述べた。

「感性が年をとるにつれて衰えるなんていうことは無い。それは逆で感性は年をとるにつれて豊かになっていくものだ。」

これを聞いて、「大人になって僕は感性が鈍った。」と思っていた自分は随分励まされた。

そして年をとるのがちょっと楽になった。
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